2009_12/02
うな平
帰国した時にかならず食べに行く、向敷地にある「うな平」です。
10月の帰国の時にも、ふらっと立ち寄ったらその先週に何時も来る人達が飲んでいて私の事が話題になっていたと話してくれました。それならと、翌日ミニ飲み会をしましょうとトントン拍子に話が決まりました。
左側のAさんとOさんです。何時も楽しいお酒をご一緒できる人達です。
Aさんとの付き合いは、うな平からの付き合いですが、意外に色々なつながりありました。
まずは、私がうな平に行くようになったのは、6〜7年前でしょうか。車で通勤する途中にありますが、寄る事はしませんでした。家族が出払って一人で食事をと思い、今日こそはと入ったのが最初のきっかけでしょうか。そのうちレーザ修理の技術者を連れて行ったりと、行く回数も多くなりました。
私が上海に常駐になってからも、帰国すると大体顔を出します。その時に、上海の話になり、上海にいるのであればお客さんで上海に行っている人がいるので紹介するよと言われ名刺を渡しました。
うなぎの串焼き、迎えに来た老婆(奥さん)とうな平のおかあさんです。
そのうちそのような話も忘れてしまっている時に、Aさんから連絡が入りましたが、最初は気が付きませんでした。うな平さんからの紹介でと言った時にはっと気が付きました。Aさんは会社の近くのマンションにたまに遊びに来ているようです。近くにいるので、会社に来てくれる事になりました。そこで色々話をしていると、本社にEMを買いに行っているよということで、鈴木さんを知っているという話になり、鈴木さんだったらい今一緒に上海にいますと言う事で紹介しました。
Aさんもまさか上海に来て散歩途中に見かける会社が弊社の本社工場とつながりがあるとは全く気がつかなかった様で、こんな近くにあるなんてとびっくりしていました。
次に、Aさんと一緒に工場の前で撮影した写真がうな平に飾られていた時に、我社の会長(父)がそれを見て、この写真はうちの上海工場だと説明した所、私と父が親子である事が判明しました。
次に、うな平にくるお客さんの中に、私の憧れの人がいらっしゃいました。私の趣味は登山ですが、(今は登っていませんが)大学生の時に、静岡ロッククライマーズクラブがあり、そこで先鋭的にロッククライミングをしている人の中の人に強烈に憧れていました。
昨年の正月の時に皆で飲みましょうという時に、その憧れの人が来ました。飲み会の話をしている時に恐らくその人ではないかと確信を得ていましたが、会って本当だったことが解りました。凄い感謝感謝です。
下の写真がその時です。2列目の右の人です。
うな平つながりで、色々な人達と知り合う事が出来て感謝感謝です。
何時も、楽しく飲めることにも感謝感謝です。